みなさんは、初めて糸と針を持って縫い物をしたのはいつですか?
私は、幼稚園年少の時
先生にスリッパを縫ってプレゼントをしたのが初めてです。
実際に履けるタイプのものではありませんでしたが
先生は喜んでくれて自分の机のライトに吊るし
大切にしてくれていたことを覚えています。
小さい時から、母と一緒に簡単なスカートやワンピースなどを作り
手芸や編み物に触れたことで、「もの作りの楽しさ」を知りました。
高校生になると、
「こんなデザインのスカートが欲しいな」
「ここがこんな風になってたら、もっといいのにな」
と思うことが少しずつ増えていきました。
そして、ついには
「自分で服を作ってみたい!!」
と思うようになり、洋裁学校に行くことを決めました。
洋裁学校では、自分で思い描いたデザインをカタチにできることが楽しくて
自分デザインの服をたくさん作って着ていました。
また、この頃 知り合いに子供が産まれることが増え
ベビー服を作ってプレゼントするようになりました。
「どんなものが可愛いかな〜」と想像しながら
自分でデザインをして縫ったものをプレゼントするのが楽しくもあり
それを着た可愛い赤ちゃんに会えるのも幸せでした。
そして
「私も早くママになって、自分の子供に服を作りたい!」
と夢見ていました。
その後、私は35歳を過ぎて、初めての妊娠。
とっても嬉しくて幸せでした。
でも、すぐに自然流産。
それから半年後、2度目の流産。
誰でも妊娠すれば、赤ちゃんを産んでママになれると思っていたのに・・・
とても悲しくて、辛い出来事でした。
2度の流産で、気持ちが沈んでいた私を救ってくれたのは、高校時代からの親友です。
彼女は私にとって、家族同然の存在。
そんな彼女の妊娠を知った時、自分のことのように喜びました。
そして、出産の時は、当然のように立ち合いました。
もちろん、子育ても一緒です。
まるで自分の子供のように愛情をいっぱい注いでいたので
彼女の子共が「マーマ」と呼んでくれた時は
嬉しくて仕方なかったのを覚えています。
彼女には、こんなにも幸せな経験をさせてもらったことに心から感謝しています。
その後、生理不順が7年ほど続き、42歳で子宮ガンになりました。
「私、ガンなん?死ぬんや・・・」
そう思うと涙が止まりませんでした。
今まで生きてきた中で一番悲しくて、あんなに泣いたことはありません。
幸いにも早期発見で、子宮を全摘出することで転移の心配はなかったのですが
「ママになる」という夢への終止符でもありました。
手術当日、
「本当にもうママにはなれないんだな・・・」
という寂しさや悲しさもありましたが
「子宮ちゃん今までありがとう!」
という感謝の気持ちに、自然に切り替わっていきました。
今思えば、自分なりに気持ちの整理ができていたのだと思います。
私自身は「ママになる!」という夢は叶いませんでしたが
お腹を触らせてもらったり、babyちゃんを抱かせてもらったり
可愛い天使ちゃんに出逢えることを幸せに感じています。
私がベビー服を作り続けるのは
「自分の子供にできなかったこと」をカタチにして、お届けし
喜んでもらえることが
私自身の「楽しく、幸せな時間」でもあるからです。
ママやパパ、babyちゃん
そしてまわりのご家族の方達が
笑顔で幸せになることが
私の喜びでもあります。
これからもママに寄り添いbabyちゃんが喜んでくれる服をお届けしますね !